【ザ・ノンフィクション】76歳コンチママと二丁目の56年〜「白い部屋」最後の闘い【前編・後編】

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はじめに

2024年10月27日放送の「ザ・ノンフィクション」では、新宿二丁目の「白い部屋」で56年もの間、様々な人々を受け入れてきた伝説的な“コンチママ”こと近藤民男さんの人生が描かれました。1966年に大阪から上京し、18歳でこの街に根を下ろしたコンチママ。長年にわたり、LGBTQ+コミュニティの一員として「白い部屋」を支え続けてきましたが、現在立ち退きの危機に直面しています。店を守るために尽力する日々の中、後継者としてチーママの真琴さんと未来を見据えた話し合いも進められています。今後の展開が気になる内容で、視聴者を惹きつける放送となりました。

後編放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。

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伝説のバー「白い部屋」〜コンチママと新宿二丁目の歴史

■ 新宿二丁目と「白い部屋」の誕生

新宿二丁目の「白い部屋」は、1968年にオープンしました。大阪から上京してきた18歳の近藤民男さん、通称“コンチママ”が、当時の社会において新しい一歩を踏み出すために開いたのが、この小さなバーでした。当時、LGBTQ+の人々が安心して過ごせる場所はほとんどなく、「白い部屋」はその先駆けとして人々の心の拠り所になっていきました。バーの雰囲気は、親しみやすく温かいもので、訪れるゲイ、トランスジェンダー、セクシュアルマイノリティたちは、自らの存在や思いを自由に語り合える唯一の場所として次第に集うようになりました。

「白い部屋」は、ただのバーではなく、ある種の“避難所”でした。セクシュアリティについて理解が乏しい時代、ここで語られるおしゃべりやショータイムは、日常では見せることのできない自己表現の場でした。お客同士が分かち合う会話や笑い、時には涙する話も交えながら、互いの人生や悩みを共有し合うことで、次第に強い絆が生まれ、店は新宿二丁目の象徴として成長していきました。この場所には、差別や偏見に屈しない精神と、ありのままの自分を受け入れてくれる安心感があり、瞬く間に二丁目のランドマークとして定着したのです。

■ 時代の荒波を越えて〜バブル崩壊からリーマンショックまで

1976年、コンチママは「白い部屋」を現在の場所へと移転し、店舗を広げ、さらに多くの人を受け入れられるようになりました。この頃から、店は一層賑やかになり、ショータイムも充実。常連客はもちろん、観光客や他業界の著名人も訪れるようになり、さらに注目を集める存在となりました。しかし、日本全体が浮き沈みの激しい経済の波にさらされる中、「白い部屋」も幾多の試練に直面することになります。

バブル崩壊とその影響
1980年代後半から1990年代初頭のバブル経済期には、華やかな時代の流れに乗って「白い部屋」も多くの客で賑わいを見せました。世間が浮かれ、夜の街も盛り上がる中で、二丁目の夜は一層華やかさを増し、「白い部屋」もその中心的な存在として注目を集めます。しかし、バブルが崩壊すると状況は一変し、不況の波が押し寄せ、夜の街も少しずつ陰りを見せるようになりました。人々の金銭感覚が厳しくなる中、バー経営にも影響が及び、客足は一時的に減少します。しかしコンチママは、経済的な困難にも屈せず、店を守り続けました。多くの店が閉店する中で、彼女は決して店を諦めることなく、常連客と新たな来店者を温かく迎え続けました。

リーマンショックと「白い部屋」への影響
2008年には、リーマンショックが日本にも影響を及ぼし、多くの人が職を失い、夜の街にも不景気の波が及びました。その時も「白い部屋」は影響を受け、多くの店が立ち行かなくなる状況の中で、どうにかして経営を維持する道を探り続けます。キャストやスタッフたちも協力し合い、厳しい経済状況の中でも、工夫を凝らしながらお客を楽しませ、来店者たちに笑顔を届けようと努めました。

「白い部屋」とキャスト、常連客との絆
経済的な困難を乗り越える度に、常連客やキャストとの絆がより強まることをコンチママは実感していました。彼女の温かい人柄に惹かれ、多くの客やキャストが「白い部屋」を“家”のように感じ、困難な時期を支え合いながら共に過ごしてきました。この店の居心地の良さは、コンチママの信念に裏打ちされており、どんなに厳しい状況でもキャストと共に店を続けていく姿勢が、この場所に安心感と特別な絆をもたらしていたのです。

長い年月を通して、時代の荒波を乗り越え続けてきた「白い部屋」とコンチママは、今では新宿二丁目の象徴として、なくてはならない存在となりました。

コロナ禍の試練とコンチママの決意

■ コロナウイルスによる営業危機

2020年、新型コロナウイルスが世界中を席巻し、日本も例外なく深刻な影響を受けました。とりわけ新宿二丁目は夜の街として知られ、感染リスクが懸念される地域の一つとして注目を浴び、厳しい営業自粛が求められました。「白い部屋」もまた、客足が途絶え、活気の失われた店内には静寂が漂う日々が続きます。いつも賑やかだった店が閉じられ、愛する常連客との再会が不透明な状況に、コンチママの心には不安が募りました。

コンチママは「白い部屋」を守るため、ベテランキャストのかんたさんを中心としたキャストたちと協力し、感染対策を徹底しました。消毒やアクリル板の設置、ソーシャルディスタンスを確保した座席配置など、営業再開に向けて細心の注意を払いましたが、それでも感染者の増加が止まらず、度重なる休業要請に従わざるを得ない状況が続きました。経済的な打撃は大きく、店を維持するためにコンチママは借金を重ねざるを得ませんでしたが、それでも店の灯を絶やさないという決意を胸に耐え忍びました。

度重なる感染の波が押し寄せ、感染拡大防止のための休業は頻繁に求められました。そのたびに収入は途絶え、「白い部屋」は存続の危機に立たされます。日常のようにキャストと談笑し、ショーを楽しむお客を迎えることも叶わない現実は、コンチママにとって大きな試練でしたが、「いつかまたこの場所にみんなが帰ってきてくれる」という希望だけが支えとなっていました。

■ 再開と常連客の帰還

行動制限が徐々に緩和され、2022年にようやく営業再開の兆しが見えてきました。長い自粛生活に疲弊した多くの人が「白い部屋」を再び訪れ、少しずつ日常が戻り始めます。常連客たちは、待ちに待った再開に感動し、久しぶりの再会を喜び合いました。「白い部屋」に戻ってきた彼らの顔には、疲労とともに、再び安心できる場所に帰ってきたという安堵感が漂っていました。

久々に顔を合わせたキャストと客たちは、再開を祝うと共に、これまでの日々の思いを分かち合い、笑顔と涙が交錯する再出発の時間が始まります。かつての日常を取り戻したかのようなそのひと時は、キャストや客にとっても、コンチママにとっても、かけがえのない喜びの瞬間でした。コロナ禍によって見失いそうになっていた「白い部屋」の存在意義を、コンチママは改めて深く実感し、店を守り抜く決意を強めました。

「白い部屋」に戻ってきた常連客たちは、口々に感謝を伝え、再会の喜びを語り合いました。「ここで話せるからこそ救われる」「この場所があるから生きていける」という声は、コンチママの胸に深く刻まれ、店を守り抜く使命感が一層強まりました。厳しい状況に耐え抜き、再び迎えることができたこの再会の瞬間は、ただの日常の再開ではなく、コンチママと「白い部屋」にとっての新たな出発点となりました。

こうして、コロナ禍を乗り越えた「白い部屋」は、店と客が共に再生を感じる場所となり、支え合いながら生きてきた二丁目のコミュニティの大切さを再確認する機会にもなりました。

店舗契約の問題と立ち退き通告

■ 思わぬ契約変更と立ち退き危機

2022年の年末、数々の試練を乗り越え、ようやく営業が安定し始めたかに見えた「白い部屋」に、新たな問題が降りかかります。コンチママが店舗の賃貸契約を更新する際、従来の契約から更新料が不要になるという条件に惹かれ、新しい契約内容に変更したのです。しかし、この新契約には、大家の判断で契約終了時に打ち切りが可能となる条項が含まれていました。このことを十分に理解しないままサインをしてしまったコンチママは、思いがけず立ち退きを求められる事態に直面します。

この契約変更は、コロナ禍で経済的に大きな打撃を受けた「白い部屋」にとって、更新料が発生しないというのは大きな魅力でした。しかし、後からわかった“契約期間終了後、大家の意向で契約を打ち切ることができる”という条項により、数十年続けてきた店の存続が危ぶまれることになります。コンチママにとって、長年二丁目の象徴として愛され続けた「白い部屋」が突如として立ち退きを迫られるという現実は、大きなショックでした。

立ち退きの話が現実となったとき、まず頭を悩ませたのはキャストたちへの報告でした。長年一緒に働いてきたキャストたちも、ここを第二の家のように感じている存在ばかりです。突然の立ち退き問題は彼らの生活にも影響を及ぼすことになるため、慎重に話をする必要がありました。しかし、コンチママの胸には、不安と同時に“今ここで話すことで不安を広げてしまうのでは”という躊躇もありました。

それでも、時間が経つにつれ、立ち退きの期限が迫る中で、次第に現実を受け入れざるを得ない状況に。コンチママは、どうにかして「白い部屋」を存続させたいという強い気持ちを抱きながら、店の存続のためにあらゆる手段を模索します。しかし、限られた時間の中での移転先探しや契約延長交渉は難航し、焦りと不安が募っていきました。自らが守り続けてきた「白い部屋」の未来が見えない中、コンチママは今後の選択について、日々悩み抜くことになります。

キャストと後継者の葛藤

■ キャストたちへの告知と驚き

立ち退きの期限が徐々に迫る中、コンチママはついにキャストたちに現状を伝えることを決意しました。最も長く在籍しているキャストの織利惠さんをはじめ、ここで人生の多くを共にしてきたメンバーたちにとって、「白い部屋」は家族のような存在です。いわば“心の拠り所”であったこの店がなくなるかもしれないという知らせに、キャスト全員が大きなショックを受けました。

織利惠さんは、2001年に沖縄から上京し、「白い部屋」で新たな生活を始めた大切なメンバーです。彼にとってもこの場所は単なる職場ではなく、仲間や自分らしさを見つけられる場所でした。立ち退きの知らせを聞いた彼の表情は動揺に包まれ、店が失われるかもしれない現実を受け入れるには時間がかかりました。

さらに、キャストの一人であるのぞみさんは、ホルモン療法を続けながら「白い部屋」で働き続け、夢に向かって歩みを進めていました。彼女にとっても、この場所での仕事は日々の励みであり、自らを表現できる大切な空間でした。しかし、立ち退きの話を知り、体力的な不安や将来への懸念に動揺が隠せませんでした。それでものぞみさんは、体力の限界を感じつつも「白い部屋」で最後まで全力を尽くすと心に決め、自らの思いを店に捧げる決意を新たにしました。

■ 真琴さんとの対話〜「白い部屋」を託す決意

店の未来に対する不安が募る中、コンチママはキャストたちをまとめ、店の運営を支えてきたチーママの真琴さんに相談します。コンチママにとって、真琴さんは頼りになる存在であり、店の精神をよく理解している人物でした。歳を重ね、体力的な限界を感じ始めていたコンチママは、店の未来を見据え、自身が退いた後に「白い部屋」を存続させるための後継者として、真琴さんに意志を確認することを決意しました。

コンチママは、自宅に真琴さんを招き、「白い部屋」の未来について真剣な話し合いを始めます。真琴さんもまた、この店がいかに多くの人にとって大切な場所であるかを理解していました。彼女は、コンチママから「白い部屋」のバトンを受け取る責任を強く感じながらも、覚悟を決めてその役割を引き受ける決意を表明しました。彼女にとっても、店を引き継ぐことは容易ではない重責ですが、これまでの「白い部屋」の歴史を守り、未来に繋げることが自分の使命だと心に刻んだのです。

こうして、コンチママと真琴さんは、店の存続について具体的な方針や今後の運営の在り方を話し合い、店の未来に向けて新たな一歩を踏み出しました。

新たな未来を模索する「白い部屋」〜移転先の探索と立ち退き直前の葛藤

■ 移転先の模索と理想の物件探し

立ち退きの期限が着実に迫る中、コンチママとキャストたちは、どうにかして「白い部屋」の精神を継承できる新たな場所を求めて街を巡ります。新宿御苑近くの雑居ビルなど複数の物件を内覧しましたが、どれも「白い部屋」特有の雰囲気に欠け、コンチママの求める“温もり”や“居心地の良さ”が感じられないものでした。新しい場所が持つべき雰囲気や、これまで築き上げてきたコミュニティの魅力が損なわれるようでは、移転しても「白い部屋」の魂が失われてしまうのではないかという不安が、彼女の胸を占めていました。

この物件探しは単なる店舗の移転ではなく、長年にわたって「白い部屋」を愛してくれた客やキャストたちが、これからも安心して過ごせる居場所を守るためのものです。見た目だけではなく、誰もが心地よく過ごせる空間でなければ意味がないという信念を抱くコンチママ。彼女にとって、目に見えるもの以上に大切なのは、「白い部屋」が築いてきた独特の温かさをそのまま次の場所に移すことでした。しかし、時間の制約と現実的な資金問題に阻まれ、理想と現実の狭間で苦悩の日々が続きます。

キャストたちもまた、移転先の選定に立ち会い、コンチママの選択を支えていますが、候補物件がどれもしっくりこない状況に、彼らの中にも焦りと不安が広がっていました。それでも「白い部屋」の温もりを次の場所に持っていくために、妥協することなく理想の物件探しに奔走する日々が続いています。

■ 最後のショーと常連客との別れ

立ち退きまで残された時間がわずかになると、「白い部屋」は惜別の感情で満たされるようになりました。冬のショーが最後のイベントとして開かれることになり、この別れを惜しむ常連客たちが連日詰めかけ、店はかつてない賑わいを見せます。キャストも客も、これが「白い部屋」で過ごす最後の時間になるかもしれないと思うと、笑顔の中にも寂しさと感慨が漂います。

常連客にとって「白い部屋」は単なるナイトスポットではなく、何度も足を運んだ心の居場所であり、仲間たちと大切な時間を過ごした思い出の場所です。コンチママが見守る中で繰り広げられる最後のショーは、観客とキャストの想いが一体となり、特別なものとなりました。ショーの幕が下りるたびに訪れる拍手と歓声は、店への感謝と別れの意を含んで響き渡り、客たちの目には涙が浮かんでいました。

コンチママもまた、店内に集まった顔ぶれを見渡し、これまで共に過ごしてきた時を振り返りながら、感慨深い表情を浮かべていました。彼女にとっても、ショーの終わりはこの空間との別れであり、訪れてくれた人々との深い絆を改めて感じる瞬間です。店の空間に満ちる温かい空気を、客もキャストも心の中で噛みしめ、二丁目の「白い部屋」が築いてきた歴史が多くの人々の心に刻まれる瞬間となりました。

別れの時が近づくにつれ、キャストと客たちは「白い部屋」の最後の一瞬を惜しみ、その温かな雰囲気を心に刻み込みながら、ゆっくりと店を後にしていきました。

後編予告:最後の決断〜コンチママの選択は?

■ 続編の放送内容と今後の展望

2024年11月3日に放送される「ザ・ノンフィクション」後編では、「白い部屋」の今後とコンチママが下す最終的な決断が描かれます。長年にわたって愛されてきたこの場所が迎える最後の瞬間と、後継者真琴さんの意志が問われる中、物件探しの行方や閉店の可能性についても注目が集まっています。コンチママはどのような選択をし、「白い部屋」はどのような未来を迎えるのか。続編の内容に期待が高まります。

コメント・感想をお寄せください

「白い部屋」で過ごした思い出や、コンチママへの応援メッセージをぜひお寄せください。また、LGBTQ+コミュニティの一員として、社会の変化を生き抜いてきたコンチママの人生や、二丁目でのエピソードに共感した方もぜひご意見をお寄せください。

まとめ

「ザ・ノンフィクション」で描かれる「白い部屋」とコンチママの物語は、新宿二丁目という特別な場所に生きる人々の絆と、時代の変遷に立ち向かう力強さを表しています。LGBTQ+の象徴的な存在であり続けた「白い部屋」がどのような結末を迎えるのか、後編も見逃せません。

後編放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。

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